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将来はブルーオーシャンで暮らしたい

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拝金主義

現在の世の中は、お金ありきで人生を選択しがちです。その証拠に、高い偏差値の高校大学を卒業し、みんなお揃いの黒スーツでレッドオーシャンに飛び込んで一流企業をメインに就活をするというのが一般的です。
なぜ大きな企業相手に就職活動をするのかと友達に聞いてみたことがあります。答えは「高給で安定したいから」でした。ほとんどの人は安定を求めるために公務員になったり大きな会社に入るという選択をしているようです。会社とは労働を提供する代わりに給与という報酬を与えるシステムに過ぎません。それだけ勉強して頭がいいならその頭を生かして会社を立ち上げるなりすればいいと思うのですが、やはりホワイトカラーのシステムに組み込まれることを望んでしまうのが現実です。特に、銀行員、証券会社、公務員などは外部に”価値を生産する”という作業はほとんどありません。それら職業の存在価値を否定するわけでは決してありませんが、そういう職に就こうとする人が過剰に多くなるとGDPは間違い無く下がっていくでしょう。

貨幣とは価値を示す媒体

そもそもそこまでして安定的に手に入れたいお金とは一体何でしょうか。
貨幣とは価値を示す媒体です。たとえば、ドルは元々は金(ゴールド)と交換できる証券として発行されていましたが、
金の実際の量よりもドル札を刷りすぎていることに気づき「金と交換できないよ」
となってから、ドルの価値の裏づけは”国家”に移りました。金と交換できなくても、ドルが世界中に大量に出回っていたため、ドルにいつの間にか価値が移っていたわけですね。そして最終的にはドルを発行している国が価値の裏づけとなったわけです。現在は仮想通貨の流通により仮想通貨が価値が上がっているから持とうという流れもできており、法定通貨から仮想通貨に価値が移行しつつあります。

金で金を稼ぐという奇妙な現象

資本主義では投資によって利益を得るという金で金を稼ぐシステムが存在します。本来は貨幣とは価値を示すための媒体であるはずなのに、その媒体で媒体を得るという筋が通らないことがまかり通っているのです。ここが資本主義の歪みです。例えば、サブプライムローンによって発生した債権を金融商品として売り出したところ、住宅バブルがはじけたことをきっかけに不良債権化して行き金融商品の価値が下がり、結果的にリーマンショックが起こりました。
貨幣とは価値を示す媒体です。価値を伴わず媒体のみが一人歩きしたために、歪みからこのようなしっぺ返しが来たのではないでしょうか。

改めて”貨幣の根源は価値にある”ことを考えるべきです。貨幣とは価値の媒体に過ぎないのだと。価値の伴わないあぶく銭は文字通りバブルが弾けて消えてなくなります。

貨幣ありきではなく価値ありきで

貨幣の根源は価値であることから、我々は価値の対価として貨幣を受け取っているわけであり、決して貨幣を受け取るために価値を提供しているわけではありません。その価値を社会に与えるという行為が仕事ということになりますが、その価値を与えることは何でもいいわけです。「仕事は嫌いなことを一生懸命することだ」とか古い人は言いますが、これは本質的には間違っていて、価値を発生させるために体力や気力などのリソースが払われていると感じるからこのように感じるわけで、要領の良い人たちは仕事を苦だと思わず仕事とすら思っていない方も居ます。例えばホリエモンとかyoutuberとか。

彼らのように、価値のある人間になれば自然と貨幣という形でリターンが来るのではないでしょうか。そしてそれがおそらく貨幣の正常な流れです。

そこでこう思いました。ブルーオーシャンでのびのびと価値を高めて社会に還元していこうと。今や、何でもかんでもググれば分かり、あらゆる事柄はコピーできることが当たり前の時代です。Googleのサーチエンジンや自動翻訳があることから知識人であることやバイリンガルであることに価値はさほど無くなってきました。他人が簡単に模倣できるようなビジネスというのは大きな成長は出来ません。これから高い価値が生じうるものというのはコピーや代替が困難なものです。

唯一無二の存在

思いつくビジネスモデルやアイデアは誰かが先に思いついているものですし、あらゆる製品は昔から似たようなコンセプトの製品が存在する場合が多いでしょう。そんな中でも唯一無二の存在があります。それは自分自身です。この宇宙に自分と同じDNA構造を持ち、自分と同じ境遇で自分と同じ運命をたどっている人はおそらく自分以外存在しません。唯一無二の存在である自分に内在する価値を表に出すことが出来れば、それはブルーオーシャンの極みではないでしょうか。

唯一無二の自分を発揮できる場は

自分は将来、合気道を生業として暮らしたいと思っています。自分は合気道の門を叩いてから色々な人とめぐり合い、感化され、自分なりにアイデンティティを確立してきました。合気道なくして今の自分は居なかったと思います。そんな自分にいったい何が出来るだろうと思ったら合気道が一番の有力候補です。まだまだ半人前ですが、技を磨くことに対して前向きなモチベーションを維持できますし、自分が自分であることというかどことない安心感のようなものも感じます。これは大きな強みです。

武道関連は一見レッドオーシャンにも見えますが、合気道の場合は相当なブルーオーシャンです。合気道家は世界中に居ますが、ボクシングや空手などと比べたら、まだまだマイナーで理解しきれていない方も沢山おり、合気道の存在自体を知らない人も沢山居ます。合気道とは武道的な側面を持ち合わせながら、哲学的な面も併せ持っています。開祖は晩年の時「合気道を完成させるにはあと80年はかかる」と言ったそうです。まだまだ発展途上な面もあり、さらなる技術革新の可能性という不確実性を持ち合わせている面白い武道です。

合気道は競技系の格闘技と違い、老若男女問わずできる珍しい武道です。最近思うのですが、合気道による強さの定義とは絶対的な強さではないのです。そもそも戦いが不要な場所に強さは不要です。強さの定義には力という要素がありますが、力はあまり意味を持たないものだと自分は思っています。というのも”力は有限、技は無限”と最近思っていて、いくら腕に筋肉をつけたとしても、自分より大きな筋肉が付いている相手には敵いません。そこで別のアプローチとして技が必要になるのです。よって強さは筋肉量に比例しないのです。決して開き直りではなく、実質的にはそういうことではないかと思うのです。

あまりにも抽象的になってしまいましたが、合気道には実質的に有用なこともあります。それは頭と体をものすごく使うことです。頭と体をフルで使う合気道は脳を活性化すると共に体調も整えます。更に、合気道は相手の体を借りて行う武道ですので、一緒に稽古をした人とは新密度がぐっと上がります。自分はあまりコミュニケーションは得意なほうではないのですが、兄弟弟子とは本当に兄弟のように思えますし、自分自身そこで存在価値を感じられます。そのような合気道の技を極めると共にそのような暖かなコミュニティを作れたらいいなと思っています。

指が滑って異様に文章量が多くなってしまい収集が付かなくなってしまったのでこの辺にしておきます。

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