「幸福論」 個人的にぐっと来た文言

/ 日記 / Comment[0]

「幸福論」から個人的にぐっと来た文言をあげてみます。

熱心に求めて知ったことは、結局、知恵も知識も狂気であり、愚かであるに過ぎないということだ。これも風を追うようなことだと悟った。
知恵が深まれば悩みも深まり、知恵が増せば痛みも増す。
恐怖が心に忍び込んでくると、そのつど別のことを考え紛らわそうとする。ところが、あらゆる種類の恐怖は、直視しないことでますます募ってくる。
あらゆる種類の恐怖に対処する正しい道は、理性的に、平静に、しかし大いに思念を集中して、その恐怖がすっかりなじみのものになるまで考え抜くことだ。なじむ事でその事柄がまるごと退屈なものになり考えがそこから離れていく。
我々が苦悩と考えるのは、それを予感し、待ち受け、現在の前後に若干の時間が延びているものだ。現在だけの苦しみなんて無に等しい。我々は、苦しむことよりも恐れる気持ちの方が強い。
我々の敵は常に想像上のものなのだ。想像上のものにはとらえどころが何も無い。仮定のことを相手にしていったい何ができようか。どんな考えが浮かんでも全て反対の考えによって否定されてしまう。起こりそうなことは際限なく思いつくからだ。そして考えは進展しない。
想像力の働きはすごいものだ。君は戦う前から逃げている。自分の力の及ばぬところは見ないほうがいい。仕事の途方も無さや人間の弱さを考えたら何もできない。したがって、まず行動し、自分のやることだけを考えるべきだ。
我々が耐えなければならないのは現在だけである。過去も未来も我々を押しつぶすことはできない。なぜなら過去はもう存在しないし、未来はまだ存在しないのだから。
世には我々の力の及ぶものと及ばないものとがある。それゆえ隷属的なものを自由なもの、他人のものを自分のものと思うと障害にあう。
愛でていても花は落ちる。嫌いでも雑草は生える。
どんなに立派な炎を上げていたとしても灰は薪には戻らない。
関連記事

コメント

:
:
:
:
:
管理人のみ表示を許可