岩間流と合気会

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植芝盛平に内弟子として仕えた人間の一人に斉藤守弘がいます。



開祖の隣にいるのが斉藤守弘

Iwama & Hombu Aikido Dojos on Japanese TV Show

斉藤守弘は国鉄勤務で1日おきに休みだったため、どの弟子よりも植芝盛平の身の回りの手伝いをしていたそうです。世話をしてもらうお礼として気が向いたら技を一つや二つ日常的に教えてもらっていたとのこと。植芝盛平の息子「植芝吉祥丸」は早稲田大学を出るほどの勉強家で、卒業後は新日本証券でサラリーマンとして勤務していたことから合気道に集中しきれていたわけではなかったようです。その証拠に1948年に合気道に専念するため会社を退職しています。wiki そんなわけで、自分の息子よりも近い存在であった斉藤守弘をかわいがり技を教えていたようです。そして植芝盛平は所有する土地の一角を斉藤守弘に譲りました。「斉藤守弘」の「守弘」は植芝盛平が命名した名前であり本名は「斉藤森造」です。wiki 師から名前をもらうということは大変名誉なことです。土地と名前をいただき、それだけ近しい存在だったことが窺い知ることができます。

※現在は岩間神信として独立している。

動画では残念なことに岩間の前を素通りしています・・

植芝盛平の没後は息子である吉祥丸が道主として継いだわけですが、斉藤守弘にとっての師は植芝盛平であり、息子の植芝吉祥丸ではありません。そんなこんなで斉藤守弘は独自に岩間流/岩間スタイルとして指導をしていました。ここから徐々に岩間と合気会でズレが生じてきたのです。兄弟弟子である、塩田剛三(養神館)、藤平光一(氣の研究会)もおそらく同じような思いで独立したのでしょう。斉藤守弘の没後、道場と合気神社は事実上、合気会の所有物になりました。斉藤守弘の息子は「岩間神信合気修練会」という法人を立ち上げ、独立しました。

しかし独立しておきながらも、斉藤守弘の技が息子に確実に伝わっているかどうかといったらそうではないのです。

現在の合気道はバラバラです。よく言えば個性があるというのでしょうか。本来、合気道の技は最強なものであります。しかし現在は(一部の)指導者ごとに弱点が存在している状態です。挙句の果てにいんちきに近いような程度の低い技も現れているのも事実です。そして一般の人は程度の低い技に目が留まり、いんちきだとか実践じゃ使えないなどと酷評されることがしばしばあります。

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