自分の正義感について

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正義感とは

まず、正義感の意味について改めて考えてみましょう。正義感とは辞書で引くと、不正を憎み、正義を尊ぶ気持ちとあります。

せいぎ‐かん【正義感】 の意味
不正を憎み、正義を尊ぶ気持ち。「正義感に燃える」

ついでに正義も引いてみましょう。

正しい道理。人間行為の正しさ。

正しい通り、人間行為の正しさ。とありますが、では我々は何をもってして正義を判断しているのでしょうか。と疑問を投げかけたとしても正義の判断基準は人それぞれです。答えなどありませんし正解ももちろんありません。

この記事では自分の正義感について考えて自分なりの思考をさらし上げたいと思います。
以下、個人的な偏見で書いています。

盲目的な正義感

正義感とは不正を憎み正義を尊ぶというたいへん美徳なものです。しかし正義感が強すぎるがゆえに不幸な気持ちになってしまう人も多くいます。正義感がない人はない人で困りものですが、正義感が強すぎる人もこれまた困りものであります。

不正に対する恨みが強すぎる為に、例えば一人の未成年者が煙草を吸っている所を一目見ただけで苛立ち怒り狂っていては、それは正義感の美徳からかけ離れているでしょう。

または、鳩がかわいそうだからと主張し、餌を与え続けている結果、付近の衛生環境を悪化させているケース。本人は正義のために、鳩のためにいいことをしていると考えているのでしょうけど結果的には大勢の人たちが困り、付近の飲食店は閉店に追い込まれている現実があります。

そういう人たちは目先の正義しか見れておらず、周囲まで気が回っていないのです。彼らは自分の正義の理想と現実が追いついていかないのです。これは価値観の押しつけに等しい行為、エゴイズムに等しいでしょう。

絶対的な正直さが正しいとは限らない

嘘にも二種類あると考えています。一つは「悪意のある嘘」。二つ目は「悪意の無い嘘」です。前者については戒められるべき事ですが、後者に関しては必要な嘘だと思っています。というのも、社会に出ると嘘をつかなくてはならない局面が多々あります。これは相手を貶めようという嘘ではなく、便宜上の嘘です。例えば、「おはようございます。すごい寝起きの顔ですね」なんて正直さは要らないですよね。絶対的な正直が常に正しいとは限らないことは確かであります。

個人的な善悪の基準

自分は他人に迷惑や不利益がかかることを悪と考えています。逆に言うと、他人様に迷惑が掛からなければ法律に引っかかるようなことではない限り何をやってもいいと考えています。また、"他人"が法を犯していたとしてもその行為自体が自分に迷惑や不利益が及ばない限り、その"他人"に関しては干渉などしません。

極端な話、どこぞの未成年が飲酒していようが、ヤクやシンナーをやっていようが、肯定はしませんが個人的にはどうぞご自由にという感じです。SNSなどで拡散されれば袋叩きですが、実に偽善者だらけの滑稽な風景です。そのようなお祭り状態の中には、大多数が信仰している正義という虚像に帰属することで己の帰属欲求を求めているエゴイストが多くいることでしょう。普段から細かいことには目くじらを立てず寛容にあり、怒る場合は大義の為に怒るべきだと思うのです。

良かれとしてやったことだとしても他人の不利益を被ることであればそれは悪と言えます。社会的には悪とされる法律に違反するような行為でさえ、大義の為になることであれば、その行為について自分はリスペクトするでしょう。
何をするにしても他人に迷惑がかかることは避けられないという主張がありそうですがそこまで行くと考え過ぎです。何事にも完璧などありません。ある程度の犠牲は避けられないことなのです。犠牲が最小限になるように選択して事を進めていくことが重要なのではないでしょうか。


以上偏見で書いてみました。

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