合気道の道を歩んで最近想いはじめたこと

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合気の道を歩んで2年弱。今になって想い始めたことがあります。合気道についての疑問であります。
合気道そのものではなく、自分がしている稽古の意味についての疑問かもしれません。
武道の疑問なので想像されるかと思いますが、合気道の実用性とかいう低層な話ではありません。合気道の本質とは何か稽古とは何かという疑問です。この疑問にたどり着くまでに2年の歳月がかかったため文章にすると少し長くなってしまいますがお付き合いいただけると幸いです。

合気道とは

まず最初に合気道とは何かお話しましょう。

武術的には

ざっくりといいますと、合気道とは武術的には主に想定したケースに応じた体術や剣術・杖術であります。例えば腕をつかまれた場合、殴り掛かられた場合、胸倉を掴んでこられた場合、後ろから襟を掴まれた場合など。想定しているシチュエーションは様々で武器対素手、武器対武器、複数人の敵も想定しています。

武道的には

しかし合気道を武道的に考えると合気のであります。開祖は「合気道とは禊である」と言いました。
合気道の神道的な雰囲気は感じていましたが、今になって少し理解できるようになりました。

合気道を始めた動機

合気道に限らず、武道を習う際、何を目的としてるかは人それぞれでしょう。
強くなりたかったり、カッコいいからだとか、運動不足解消だったり。
ちなみに自分は全てです。
それに加えて社会から少し外れたところに身を置きたかったといいましょうか、日常とは一味違う世界で”形”にはまりたかったというのも大きかったです。

合気の道に足を踏み入れてみて

実は合気道の世界は縦社会でありまして、茨城道場時代に弟子をしていた古くからの師範の道場では、まさに極道のような世界です。道場では定期的に飲み会や演武会などのイベントがあります。その時は師範と先輩の行動を全て観察・予測し、仕事を自分で見つけ出すのです。例えば師範や先輩、目上の方のグラスの中身が半分以下になったら、そのグラスに何が注がれていたかを予め観察しておき、同じものをお酌します。これは、日常から常に気を使うことで、実戦の際に敵の先手を打てるようになるための稽古という意味合いがあります。
仕事が見つからずおどおどしていると師範や先輩に「何突っ立ってるんだ」「先輩が仕事してるのにお前は何やってる」と怒鳴られます。不服な態度を取ろうものならこぶしが飛んできました。実に理不尽ではありますが、その度に実戦ではやられてると自分を戒めました。

岩間流合気道

自分は岩間流という型稽古を重視した道場で稽古をしてきました。型の重要性はどの武道でも同じでしょう。型にとらわれてしまうのはよろしくありませんが、型があっての応用ですので型にこだわるのは間違ったことではありません。
自分が通っている道場の師範も型にはうるさく、細かい一つ一つの動きにこだわりを持って指導していました。

師範は時々、現在の岩間の道場について言及することがあります。現在の岩間道場は斎藤守弘先生の息子さんがやってらっしゃるのですが、守弘先生と指導が異なる点がいくつもあります。息子だからといって守弘先生の技を忠実に受け継いでいるとは限らず、守弘先生の弟子のひとりに過ぎないのです。

師範は現在の岩間の指導法が守弘先生の指導とは大きく異なることに違和感を感じ、この間、一般社団法人を新設して独立しました。
これが元か分かりませんが道場も変化していったのです。

道場の変化

最近の道場の変化に正直戸惑っています。主に2つの変化がありました。

雰囲気の変化

自分が入りたてのころは上記のように非常に厳しい極道のような道場でした。しかし、最近師範が年齢のせいか丸くなり、新しい人も入門してきてすっかり柔らかい空気の道場になってしまいました。最近はもう道場という感じはなく、ただの教室のような感じが否めません。極道のような厳しい道場にあこがれて入った自分からしてみたらちょっと残念な感じがしますが、時代を考えたら仕方ないのかもしれません。

技の変化

独立を経て、守弘先生の指導法を貫くのかと思いきやそういうわけでもなく、新な指導法を見出そうとしているのです。具体的にどう変わったかというと、ガチガチの硬い稽古から、力を使わないで掛ける技に変わりました。ある意味合気道本来の姿に近づいてきたのでしょう。開祖に一歩近づいたわけです。しかし基本をないがしろにしているわけではなく、基本を前提としています。技の完成度もむしろ進化しているのです。

正しい技とは何か

力を使わない技を追求するとどうしても型が邪魔になります。型に少し改変を加える必要が出てくるのです。というと型が間違っているのかというとそうでもありません。ガチガチの型の動きでも技はしっかりかかりますし、型にこだわらない技でも完成度が高ければ掛かります。
なので型稽古は型稽古として間違いはありませんが、この変化した技も間違いではないのです。

今まで正しい型で稽古することが正しい稽古として習ってきました。岩間流では型は絶対だったのです。しかし最近その型よりも重要度の高い「ぶつからない」という要素が出てきて戸惑っているのです。それは間違いなく進化なのでいいのです。今まで信じてきた絶対的なものを崩すことに抵抗があるのかもしれません。

武術的に考えれば相手を制圧できた技が正しい技と定義できるでしょう。しかし開祖の言葉を借りれば、武道とは決して暴力で相手を制圧するものではなく、宇宙の気を整え世界の平和を守り、神羅万象を正しく生産し、守り育てることにある。のです。この精神からすれば、合気道では相手を制圧できた技が必ずしも正しいというわけではありません。

間違いはないと思い始めたら

武術を稽古しているが武道である。

今まで型は絶対であり、それに従うことが正しいことだと思い、必死に一つ一つを丁寧に稽古していました。しかし間違いなどなかったのです。といってもちゃらんぽらんな技になってしまったらそれは正解ではありませんけど。

型を重視する岩間流。精神や哲学面を重視する心身統一合氣道。独特な構えがある養神館。知名度が高い(家系が)開祖直系の合気会。実戦を想定している覇天会
合気道とは常に変化し続け、指導者により様々な合気道が生まれているということでしょうか。

なんだか今までの稽古は何だったのかと根本的なところから考え込んでしまいました。

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